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2008年1月24日 (木)

亜門様とティム様のトッド

J・デップが「スウィーニー・トッド」でアカデミー賞にノミネートされた。まだ一度も穫って無かったなんて、ぜひいい結果になって欲しい。

そして浅野忠信さんもノミネートされてた。しかもまだ日本で配給が決まっていないんだそうな。でもこれで、どっと群がるんだろうなあ。日本の映画界って、、、なんだかなあ。

さて本題に戻って、宮本亜門さんの言葉を。

「トッドは単なる悪人ではなく、人間なら誰しもありうること。……僕は復讐の連鎖は断ち切れると信じている。なぜなら誰もが自分の中に『許す』という大きな力をもっているから」――舞台版のパンフから。

「人間にはあらゆる感情と心が備わっていて、人は生きるために自分の心を切り裂くこともある……その痛みを否定せず、おおきな包容力を持って訴えかけるのがこのミュージカルの魅力」――デップ様の映画版のパンフから。

私は宮本亜門の舞台を見終えて、涙が止まらなかった。血まみれの復讐劇のはずなのに、哀れでなぜか愛おしかった。それは、この演出家が”『許す』という大きな包容力”を根底にもって、このおぞましい惨劇を包み込んだからだ。この『許す』という部分、哀れで愛おしいという部分(これは復讐鬼トッドの隠れた部分なのだが)、この最も重要なところを担ったのがトバイアスに他ならない。

武田真治は「辛い時代背景や環境の中で誰よりも純粋で真っ直ぐにいきているキャラクターとして演じろ、と言われました」とFC会報誌で言っている。彼の演じるトバイアスが純粋で有ればあるほど、トッドの愚かさや醜さ、哀れさをきわ立たせるのだから、当然だよね。武田くん、見事に演じきったと思う。本人は「純粋ってなんだ?」と「一度真っ黒になりました」そうだけど。

では映画版のトバイアスはどうなんだろうか?って話になるよね。前に書いたとおりトビーが少年であることでラベット夫人の母性愛が強くでる。映画だから少年であっても体力的に大丈夫だし。……本当にそれだけの理由だろうか?

俳優の演技とソンドハイムの音楽、画面の美しさ、これらが素晴らしいので この血なまぐさい惨劇がヒューマンドラマになっている、、、と前に書いたと思う。ベンジャミン・バーカーが復讐に燃える悪魔・トッドとして徐々に狂っていくデップ様の演技は、自分もそうなるかも、と観客に殺人を肯定させてしまうほどの迫力だ。

ところが、ヒューマンはここまで。ラストシーンでこれが大きくひっくり返る。トビーが排水溝から出てきてトッドの首をカミソリで切る。トッドの動きが止まり、トビーは振り返りもせず過ぎていく。このときのトビーの目!!何も写らない、人間の温度が何もない、狂気の目!

――私はたとえ演技であったとしても、子どもに殺人をさせるのは許せない。トビーはどんなつらさにも負けない強くて聡明な少年であった。将来はきっと幸せをつかんだであろう、愛すべき少年であった。しかし全ては失われたのだ。私は身も凍るほどの怖さを感じて動けなかった。

このラストのワンシーンで、ヒューマンドラマが一瞬にしてホラーに変わる。

恐るべし、ティム・バートン!

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2008年1月22日 (火)

真治様のトビー

宮本亜門の舞台「スウィーニー・トッド」とデップ様のミュージカル映画との違いは、そりゃもう、数え切れないくらいある。デップ様の映画では、中心はあくまでもトッドとミセス・ラベットだ。ジョアンナもアンソニーも舞台ほど出てこない。亜門版の舞台ではジョアンナをめぐる愛憎がひとつのサイドストーリーになっていたように思うんだけど。

でも、最も大きな違いは重要な役である「トバイアス」が、映画では本物の少年だったことだ。亜門版でもブロードウェイの舞台でも、トバイアスはちょっと頭の弱い「青年」だった。理由は一週間に8回も舞台に立つことは、子どもの体力では無理だったからだそうだけど、本当にそれだけなのかな。

ジョアンナとアンソニー以外の、もう一つの愛の形、それがミセス・ラベットとトビー。映画でのトビーは、たしかに不幸な生い立ちではあるけれど、頭が弱いどころかすこぶる聡明なんだよね。だからピレリ親方がトッドに殺されたことも、トッドが恐ろしい男だってことも簡単に見抜いてしまう。そしてトッドからミセス・ラベットを守ろうとする。心の母であるラベット夫人を。夫人も又、トビーを我が子のように思う。パンフでは少年にすることでラベット夫人の母性愛がより際だつ、と書いてある。

舞台ではトビーは頭の弱い青年で、不幸な生い立ちに加えてもっと不遇な扱いをうけるもんだから、更に更に哀れなんだよね。無理矢理歯を抜かれて血だらけになったり、暴行をうけて足を引きずったり。コレを武田真治がみごとに演じるもんだから、ラベット夫人でなくても母性愛をふりそそぎたくなってしまう。

でも心は少年でも体は大人。だからトビーのラベット夫人への思いは単に「母への思慕」では無い。ひそかな恋心も秘めているんだよね、本人気付いていないけど。そう思わせるのはまぎれもなく武田真治が演じているから。体の大きさから少年にみえるけど、ふと感じる首の太さや胸板の厚さから、恋をするのに十分な大人の男がかいま見える。ラベット夫人を守りたいのと同時に、小さな嫉妬の炎も感じさせるのだ。このあたり、うまいなあ、武田くん。

私は「スィーニー・トッド」のキーマンはこのトバイアスだと思っているから、こんなふうに人物像が全くちがうと、物語の終末に大きな違いが出てしまうんだけど。でもって、テーマ自体にもかかわってしまうんだけど。

そのあたりはまた次に。

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2008年1月20日 (日)

デップ様のトッド

ジョニー・デップの「スウィーニー・トッド」公開日一番乗りでみてきました。

ネタバレあるから、注意してね。

宮本亜門の舞台「スウィーニー・トッド」ですごく好きになった作品なので、もうわくわくドキドキでみました。初感は・・・・

すごい!とにかく衝撃的!内容は知っていたから何が凄いって、映像が!!舞台とちがってリアルな描写ができるから、視覚的にも聴覚的にも生々しい刺激なんだよね。とにかくおぞましいテーマをティム・バートンでデップ様でってことだからそれなりに覚悟はしていったんだけど、殺害のシーンなんかは鈍感やどんでさえ、ちょっとひるんだ。血の色が苦手な人は要注意だね。

で、最初の衝撃をクリアして観ると、やっぱりデップ様はいい。とくにファンて訳でもないけど「シザーハンズ」で哀しみを表現できる俳優って評価を得たらしく、それには同感してた。他の出演映画を観ても、心の奥のある部分をくすぐるいい俳優だなって思う。日本人特有の”優しさ”に通じるものがあって、日本で人気なのもうなずける。

「悪魔の理髪師」だからホラーにしてしまえば何てことない。でもこの映画はホラーじゃなくあくまでもヒューマンなんだよね。愛の深さ故の「復讐」と愛するが故の「罪」、お前はそれを否定しきれるのかという問いが、トッドとミセス・ラビットを通して体の中にぐいぐい迫ってくる。俳優がいいのと監督のとらえが揺るぎないのとで、恐怖映画にならずに哀しさを心に残してくれる。

デップ様でなければ嫌悪感だけが残ったかも。カミソリを握る手が美しい。事実を知るたび変わる微妙な目の光もきれい。なので復讐の鬼なんだけど、なんとも切ない。一方でティム・バートンだからソコハカとないユーモアもあるし。タービン判事のヒゲをそりながらジョアナへの(それぞれ質のちがった)思いを歌い上げるシーンなんか、ほくそ笑んじゃった。

これから観る人がどんな感じ方をするのかはわからない。日本ではどんな評判になるだろうね。

あ、デップ様の歌はよかった。とくにうまいって訳じゃないけど、声が、あの声が・・・・

パンフに宮本亜門さんが文を寄せてた。舞台とのちがいなんか(とくにトバイアス)は次回に。

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