2008年5月 1日 (木)

生と死

おじいちゃんの具合が大分良くなった。85才だけど3人の中では一番元気でこの人がダウンすると、最悪の事態になる。いつかはくる、と覚悟はしていても一日でも今の時が続けばいいと願う。

80代の3人と毎日かかわっていると、生と死という問題といつも隣あわせだ。熱が出ただけでも、このままもしかしたら・・・・と不安と恐怖で一杯になる。

もうすぐ90才になる母が入院している病院は高齢者と重症患者が多く、ほとんどが車椅子で、体だけじゃなく言葉も意識さえも自由にならない方が多い。若い姪がお見舞いにいってショックで一晩眠れなかったという。無理もない、一秒一秒が生と死との闘いである。与えれた生をほんとうに懸命に生きている方々ばかり。

自分だって誰だって死と隣り合わせなんだけど、自分はまだまだ生きる、という幻想を支えに毎日生きている。母が「死ぬってどういうことだろう・・・・」とポツリつぶやいた時、本当に死を背負って生きているんだと胸が痛くなった。

母はすでに二人の子を失っている。私は母より先に死ぬ訳にはいかない。姪のようにショックに取り込まれる訳にはいかないのだ。

今日はおじいちゃんの好きなジャガイモの煮付けをしてやろう。母にはプリンをこっそり買っていってやろう。看護士さんには内緒でね。

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2008年4月27日 (日)

消しちまったい

去年ぐらいからブログの閉鎖というか芸能界ウォッチングからの撤収を決めていた。閉鎖にむけて記事の整理をしていて、移転とか訂正とか初めはしていたんだけど、途中面倒になって大部分削除することにしてしまった。

で、コメントもサクサクっと削除していたら、新しいコメントも勢いで消してしまった。最後のほうに「ブログ炎上させるよ(するよ?)」とかなんとか書いてあったので、アラシかと思って削除したら、一瞬「藤原君は15のときから」とか「キジルシの王次」とか「へっぴり腰」とかの文字が見えた。しまった!ちゃんとした反論のコメントだったかも。でも時すでに遅し。

私は芸能人っていうのは叩かれてナンボのものだと思っている。応援はもちろん大切だけど、批判のほうが育てる場合だって多い。一番悲しいのは何の話題にも上らなくなったとき。私自身、ひいきのアーティストは叩きの記事を読む方が面白い。「わかってないわね、この人」とか”妄想の遊び”を楽しむ。どうしてこんな見方をされるのか考えを深めるキッカケにもなって有り難い。

だから、ブログで批判的な言い方をして反論されるのも密かに期待していたりする。削除したコメントも待ってましたなので、よく内容がわからないままで失礼だけれど藤原竜也君について素人の感想を。

最後のおそろしげな一文はともかく

すぐ反応したのが「キジルシの王次」という言葉。天保十二年のシェイクスピアだよね。これはwowowで二回に分けて観た。出演者が多く時間も長めだったので根気が続かなかったからね。「キジルシの王次」の藤原君よかったよ。唐沢さんより魅力的だった。彼の演じる役で(見た限りだけど)一番合っていると思う。なんというか肩によけいな力がはいってないような自然に楽しんでいる感じ。ご本人は大変だったのかもしれないけどね。

「天保」も時代劇だったけれど、NHKの「SABU」ではじめてカツラをつけたのをみた時、似合わないなと思った。カツラの形にもよるかもしれない。沖田総司の月代はそんなに違和感なかったから。SABUはいいお話だったけど、弟分の妻夫木君だったかな、ふたりの年齢のバランスが気になって入り込めなかった。もうちょっと年齢差があった方が私にはわかりやすかった。

沖田総司といえば藤原君の沖田はへっぴり腰だったよ。何故か?それは沖田総司は剣を構えるとき”前かがみのクセがある”ってのが定説らしい。私が観た大河ドラマの回では試衛館での野ゲイコかなんかのシーンだった。沖田はへっぴり腰で上段に構えるのはいいとして問題は足さばきだ。なんというかサッカー走り?剣の達人なんだから腰をぐっと低く”古代走り”しなければならないトコなんじゃないかな。これが足の長い現代の若者には難しい。これができないから「へっぴり腰」のままで終わる。

ところが池田屋事件では逆にこれがよかった。長身の沖田がふすま・障子など障害物の多い室内で苦労しながら闘う感じが良く出ていたと思う。加えて労咳を患う身。病をおしながら力を尽くし最後に喀血。この回の総司はよかった。

藤原君にかぎらず殺陣や武士の所作のうまい俳優が 近ごろとんと減ったと感じる時代劇世代の私。宮本武蔵の有名な著書に「五輪書」というのがあって、その「水の巻」に細かく構え、身のこなしなど書かれている。また細川忠則に武蔵が呈した「兵法三十五箇条」にも”身のかゝりの事”などと書かれている。大河ドラマを視て、所作のうまい歌舞伎役者でさえ、武蔵を演ずるのはむずかしいんだなあと思う。準備に時間のとれない俳優に簡単に剣豪は演じられないよ。

あと、前にコメント下さった演劇ファン(藤原ファン?)の方は弱法師をすすめていたけれど、この作品がどんなものかわからない。でも、以前TVで暗闇にスポットライトを浴び熱演している藤原君の記憶がある。かたわらに母親と父親がいて、裁判みたいなシーン。わずかな時間だったけど、身毒丸とはちがう「清しい狂気」と言う印象強烈でこの藤原君もよかった。身毒丸よりずっといい。これが弱法師だとすると、藤原君が一から創り上げた役ってこれじゃないかな。

トップランナーとスポーツ大陸で藤原君をみたけど、頬の肉が落ちて青年顔になってた。今なら剣士がにあうんじゃないか。問題は痛めたという腰だね。

おじいちゃんが2,3日前から伏せっている。風邪だというが八十五才だ、どうなることか。

いかん、急がなくては。

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2008年4月23日 (水)

さあて

2,3ヶ月前から身辺を見直している。この春からいろんな状況が変わって、このまま進むのが大変になってきたので。

1.個人メールをやめた。極々少人数だったけど。

2.PC環境を整える

 ①コメントの整理

  皆様からの温かいコメントはやどんの中にしっかり入れておきます。

  ありがとうございました。

 ②ブログ記事の整理

  カテゴライズ・訂正・削除などしてこのブログ本来の目的にもどす。

 ③本来の目的の作業(中文翻訳)を進める。

  完了次第、閉鎖にむけて準備する。

 ④ライフワークについての新しいブログをたてる。

  できれば作品制作にかかわるHPを作りたい。

3.生活の見直しと新しい方針

  老人介護をしているせいか、高齢者に関わる仕事の依頼が4月からどっと増えた。

  日常のサイクルを立て直さなければ。これが一番大変だ。

猫の本を訳すために、1年間中国語を習いました。また電子辞書も買いました。発音も手書きも可能な最新モデル。高かった。

今まで漢字一つ一つ画数を調べて、その漢字の載ってるページにとんで、意味調べて文にして、っていうすごく手間暇かかる作業だったからなかなか進まなかったのね。やっと少しスピードアップできます。

しかし、こうしてみると目が痛くなる作業ばかり。トシだからね。目がつらい。だからボチボチと・・・・・・ですな。

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いよいよエリーザベト

エリザベートよりエリーザベトという表記の方が原語に近いらしい。

去年めちゃ兄さんがミュージカルに挑戦、と知った時は驚いた。でも、すぐにこれは本格的にボイストレーニングができる、と思い直した。BLADEデビューライブで初めて兄さんの歌を聴いたときは、むむむ、、、無理にボーカルするこたぁないんじゃないか、って正直思ったもんだ。しかもSAX吹いて歌ってまた吹いて――そもそも無茶だよ。でも声は良かった。深みのあるソフトな声。この声で歌が聴けるなんて、とミュージカルがだんだん楽しみになってきた。

エリーザベトは一度しか観劇できなくて、しかも(人気があるんだね、このミュージカル)FC経由でさえあまり良い席ではなかった。だから衣装も演技もよくみえない。ミュージカルなんて初めてだし、このジャンル苦手だし。

ただ、このシシイというオーストリア皇后についてはもともとすごく興味があったので文献も沢山読んだ。関連の映画も観た。実在の記録のほうがミュージカルより数倍おもしろい。そのおかげでこの演目も「トートとシシィの恋物語」としてではなく「シシィの内面の葛藤と狂気」としてとらえることができ、別な角度で楽しめた。トートはシシィの分裂した人格、つまりシシィ自身である。兄さんが演じたトートは小悪魔で、狡猾で、それなのにどこか人間くさくて やどんのイメージにぴったりだった。というより、兄さんのトートによって触発されたんだと思う。

梅田芸術劇場からマテ・カマラスさん等のライブちらしが送られてきた。マテさん演じるトートに感動した兄さんのリスペクトも同封してあった。トートライブをみてもマテさんの歌が(姿月さんもすごかった)お手本になったことがよく解ったよ。トライアンフでも、ほんとに歌は日々うまくなってる。マテさんに感謝だね。

ただし、トートの役作りは兄さん独自のものだと思う。大きなヒントをもらったとは思うけど、シシィ=トートの図式(あくまでやどんの脳内ワールドです)はマテトートではイメージできない。つねづね年齢不詳だとは思ってたけど、性別不詳、それどころか人魔不詳でもあるんだね、この人。

今度は長丁場だから、どこかで必ず観に行けそう。がんばろう。

ロッド・スチュワートがアメリカのジャズ・ナンバーを歌っているのを聴いている。↓

ザ・グレイト・アメリカン・ソング・ブック

THE GREAT AMERICAN SONGBOOK

彼はマテさんのようにもともとはロック・シンガーだ。なかなかいいけど、彼はロックの方がやっぱり合っている気がする。マテさんはその逆。ロックよりバラードの方がずっといい。アメリカのスタンダード・ナンバーをマテさんの歌で聴きたい、とふと思った。マテさんのロックには食指が動かないけど。

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2006年9月26日 (火)

ああ、松雪さん

BJの新譜発売でわいている中、所用でいってきました東京、先週末。

で、みてきました、「フラ・ガール」!↓

http://www.hula-girl.jp/index2.html

しかも、なんと、初日舞台挨拶つき という豪華さ。だいたいが舞台挨拶なるものは初体験ですわ。

・映画は・・

消えゆく炭坑の街をなんとかしようと、思いついたのが石炭採掘の際にでる温泉水をつかってリゾート施設をつくること。この発案者が、たよりになるんだかならないんだかわからない社長(岸辺一徳)。ほんっといい味出してるわ。で、どろまみれでイナカモン丸出しの炭坑の娘たちがフラ・ダンサーにしたてられていくんだけど、その指導に東京から連れてこられたのが松雪さん。SKDで結構やってらした方なんだが、これが なかなかでして。

松雪泰子さんは「夜叉が池」の舞台で拝見したけど、ほんとに雪のように白い肌の美しい人だ。娘たちの黒顔とみごとに対照させている。が、なんといっても秀逸なのは、見事なflapper ぶりである。ふてくされさせたら天下一品だな、この人。夜叉が池の姫様もそうだったけど、はすっぱな演技のなかに女の寂しさをちらつかせるのもうまい。

で、悲しい別れや炭鉱事故、家族の対立、組合の反対など紆余曲折をへて、ようやくオープンにこぎつける。話としてはただそれだけのことで、ウォーターボーイズやスィングガールズと並べられるかもしれない。このへんはやどんは「がんばれ!ベアーズ」路線でひとくくりしているんだけどね。

ただ!!何よりの相違点が一つ。それは「貧しさ」をまっすぐに描いていること!物語は昭和四〇年代だから、日本が高度成長の波にのりつつも 多くの日本人はまだまだ戦後の貧しさを引きずっていた。気の荒い暴力的な父親(だが、家族を必死で支えている)や 娘に貧しくても貞節であることをたたき込む気の強い母親などは、やどんの子どもの頃の原風景とかさなる。日本の父とは、母とはそういうものであったのだ。

富司純子さんって、こんなに芸域の広い人だったのか。

この映画が若い人にどううつるかわからない。決してオサレでもなくイヤシでもないもの。でも、やどんの世代は確実に心うたれる映画だと思う。

というゴタクより何より、やどんは 子どもたち(ハイティーンも含む)が出てくると確実に泣く。動物も泣く。アニメでも安っぽいドラマでもとにかく泣く!

だからこの映画でも泣いた。号泣。

・舞台挨拶は・・・

しずちゃんが相変わらずギャグをはずしていた。「私の女優デビュー作品としては申し分ありません」「これで世界的女優としてはばたきます」とか何とか。

蒼井 優 さんがかわいらしかった。松雪さんは大人の女性だった。コメントは皆短くてあたりさわりのないものだった。

カメラのとき「GO!フラガール」といって片手あげてください  って注文されてたけどしずちゃんしかできなかった。会場の皆さんも一緒に って言われたってそう簡単にはできんわい。しずちゃんはやっぱ、すごい。

この映画をみて、今の日本の反映の基盤が そうだ、ここにあったのだと再確認した。この時代の、この世代のがんばりがあってこその今。

母さん、今から病院にいくわ。

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2006年9月11日 (月)

お母さんになってほしかったひと

おばあちゃんがやっと車椅子にすわるまで回復した。車椅子って押すのにもちょっとコツがあるんだよね。車椅子によってちょっとずつクセなんかもあるし。

車椅子といえば思い出すことがある。前に、優雅に自分探しの海外旅行してた友人のことを書いたんだけど、これには後日談がある。

独身貴族を満喫していたこの友人が30代半ばで突然、病に冒された。関節性リウマチ。少しずつ手や足の骨が曲がっていき、死ぬまで進行がとまらない不治の病。難病である。

この病気にかかったことを話しながら、しかし彼女は明るい。そしてこう言ったのだ。

「私、結婚していなくてよかったよ。もし子どもでもいたら、その子を世界一不幸な子どもにするところだったもの。」

負け惜しみでも何でもなく、心からそう思っている、強い言葉だった。

「そうだね、ほんとにね。」と形だけ同意しながら、隠れて泣いた。そして恥じた。彼女をひそかにうらやんでいた自分を。

で、その友人(と、彼女の父親)が近年、うちの近くに家を建てた。何度も手術しているので、体中ブラックジャックのような傷跡だらけだった。それでも、変わらぬ笑顔。

「いらっしゃ~い。これでアンタが車椅子になったら、アタシが押してやるよ。」

「ふん、だ。この病気は案外長生きなのよ。アンタの骨はアタシが拾ってあげる。」

――――人生って深い    かも。

いやね、「給」の映画についての評論記事があるんだけど、これが長くて。。なかなか訳す気になれんのだよ。

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2006年9月 3日 (日)

おばあちゃんって大変

やどんには介護予定の80代が3人います。

春にそのうちの二人が転倒・骨折し、一人が入院、一人は自宅療養ですが右手が使用不能。なので大好きな仕事も中断して病院に通う毎日ですわ。

ここんとこ低血糖の発作をおこして、入院中の母が大変だったのね。やっと落ち着いたのでブログ再開。

で、ちょうど洗濯物をたたんだりする時間にやっていたのがNHKの「繋がれた明日(再)」でした。

これはめちゃ兄が秋からクランクインするという「路地裏の優しい猫」の監督、森岡さんが脚本を手がけた作品。話題になってたのは知っていたけど放映が終わった後だったので、とてもうれしい再放送でした。

ものすごく重いテーマに真っ向からとりくんでいて、そのことだけでも力がある人なんだなーと。解釈によって誤解も批判も当然生まれるし、失敗する可能性だって高いテーマだもの。

殺人を犯してしまった19才の少年が仮釈放される。10か月後は晴れて完全に刑を終えることになるんだけど、現実社会は当然厳しかった。。。やっぱ見終わったあとはいつも心に重くのしかかるドラマだった。

加害者にとって更正とは何か、がテーマの一つだったので加害者側から描いている。だから、もしかしたら「罪をにくんで人を憎まず」っていう日本人どっくとくの、アマアマな結末になるのかと思っていたらそうでもなかった。加害者側の苦悩もすざまじいが、被害者側はまさに悲しみの地獄だ。

どうしても加害者側に心が傾いてしまうけど、このドラマは被害者の人権にもきちんと立ち向かっていて、久しぶりにまっとうな作品に会った、という思いだ。この脚本家が監督するという「路地猫」はいったいどういう作品になるだろう。めちゃ兄はいったいどう料理されるのか、また、彼自身はどう解釈して演ずるのか、めっちゃめちゃ楽しみである。

最近の若い人は、ゆる~いものしか受け入れられないのかなあ、といつも感じているんだよね。お笑いがアイドルになるし、楽しいものや明るいものじゃないとヒットしないのかなあ、なんてね。それは実社会が暗くて苦しいからなんだろうか。でもやどんのこどもの頃なんて、もっと貧しくてもっと大変だったよ。

めちゃ兄の主演作に「ほとけ」があるんだけど、これはファンの間でも不評らしい。辻仁成の渾身の映画だったのだけど映画祭でも不評、ヒットしなかった。でもこの作品、やどんは好きなんだよね。(当の本人は嫌いかも、彼は基本的にええカッコしいだから)

現代人はいつも逃げている、きたないものや暗いものから。そのわりには起きる犯罪がどんどん凶悪で残忍になって来るのは何故?これは若いときからきちんと黒い部分に向き合っていないからではないのか?正視しなければならないものまで、ね。

とはいえ、暗い話がうけいれられないほど、現代はストレスが多いということなんだろうなあ。少なくともやどんの子どもの頃は、こんなに離婚も未婚も多くなかった。貧しくても父ちゃん母ちゃん兄弟がいて、多くの人は「家族」というものをきちんと経験して大人になっていったように思う。今の子どもたちをみてると「家族」とか「家庭」とかが欠損している子が増えているように感じるんだよね。

そして、やどんがこんなことを偉そうに言えるのも、苦しい中できちんと育ててくれた両親のおかげだってことが身にしみてくる。だから、オムツ替えなんて気にしなくていいんだよ、ね?母さん。

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