東京シネフェスの感想がでつくした今さらながら、「LOVEDEATHやどんのツボ」を書いてみようと思う。(ネタバレ注意)
実をいうと、サイとシーラのからみはよく覚えていない。キスシーンなんてあったっけ?あったかも。
さらにマズイことにギターひくシーンやSAXなんて全く記憶に無い。もともと恋愛沙汰に興味を失って久しいからラブシーンは覚えて無くても、音楽からみなら観ていれば記憶に残るはず。観ていればってことは、、、たぶん寝てた。あ゛あ゛あ゛~。自分では2,3分ウトウトのつもりだったんだけどなぁ。
まあ観てなくても感想はそうかわらないと思う。やどんにとって武○真治LOVEDEATHのツボ、それは六平さんとの「包丁バトル」です。刃渡り20センチもあろう肉切り包丁とか、おっきい出刃包丁!それを顔や体のすぐ近くでジャギジャギやるもんだから、怖かったー。鼻とか指とか切り落ちそうで、背筋がぞっとした。
これが銃やら剣やらの武器だったらこんなにザワッとしなかっただろう。それが身近にある、いつも使っている生活用具なのだ、これは怖い。さらに包丁は「長崎バスジャック事件」を思いだす。主婦が日常親しんでいる道具が殺傷の凶器となるということが、実になまなましくもおぞましい。斬新なアイディア、北村監督GJ!
もし包丁に HENCKELS(ヘンケルス)や ZOLINGEN(ゾーリンゲン) とか書いてあったら小ネタ好きやどんは大絶賛だ!公開時たしかめようっと。
・・・・猫の本は 韓良露 という評論家の文が終わります。
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さて、呉米森の《給我一支猫》だが。タイトルが 一隻猫 から 一支猫 (つまり動物名詞から無生物名詞に)かわっているのは、呉米森の鋭い感覚と意図によるものだろう。彼は自分の映画が、ただ人生を模したものではなく、現代の抽象絵画のような美しさを取り入れていることを 心得ている。映画の基本的要素となっている口出しできない「物体」――看板、大道具、小道具、衣装、音楽 それらが一支猫を漫画的な世界へとさそう。
僕は《給我一支猫》のラストが大好きだ。大まかに言うと、人の生の存在がひっくり返っているのだ。死の床にある老人に生が芽生え、その後どんどん健康を回復して何十年も働き、そして恋を語る若者となり、さらに毎日遊んだり勉強したりする子どもになって、やがて母親の子宮の中で卵子と精子の結合という形で死に至る。
《給我一支猫》のラストの言葉は、この映画の謎をとく最も重要な伏線である。呉米森は生命がとても重いものだと承知しているが、人生は生老病死・天国からきて地獄に行く、というパラドックス(逆説)的手法でこの映画を撮ったのだ。しかも彼は、このような高度な死の認識がテーマの映画で、子どもの遊びのような手法を使っている。多くの観客が呉米森と一緒に童心に帰ってこの映画を観るなんてことは出来ないのが残念だ。
韓良露
・有名映画評論家・美食家・旅行家
・映画プロデューサー・新聞コラムニスト
・グルメ・占星術・映画評論など著書多数。
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一番長い評論家がやっと終わったよー。
生老病死(しょうろうびょうし)とは「四苦八苦」の四苦、誰もさけられない4つの苦しみのこと。仏教用語だよ。
要するに 難しいテーマをあえて軽く描いているってことね?ね?
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